東京地方裁判所 昭和51年(特わ)279号 判決 1980年3月31日
本籍
東京都千代田区麹町一丁目八番地二
住居
同都同区三番町二八番地五 中井ハウス三〇二号
本田京子方
医師
唐木秀夫
明治四〇年一月一八日生
右の者に対する所得税法違反被告事件につき、当裁判所は、検察官八代宏出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役一年及び罰金一、五〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、東京都新宿区四谷一丁目二番地において、内科医を営んでいたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、自由診療による現金収入の一部を除外し、仮名預金を設定するなどの方法により所得を秘匿したうえ
第一 昭和四七年分の実際総所得金額が九三二〇万八一三九円あった(別紙(一)修正貸借対照表参照)のにかかわらず、昭和四八年三月一〇日、東京都新宿区三栄町二四番地所在の所轄四谷税務署において、同税務署長に対し、総所得金額が四一〇七万一九四五円でこれに対する所得税額が二〇三七万七四〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(昭和五一年押第一八七四号の符号1)を提出してそのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額五六二九万八八〇〇円(税額の算定は別紙(三)税額計算書参照)と右申告税額との差額三五九二万一四〇〇円を免れ
第二 昭和四八年分の実際総所得金額が六六八二万七九九九円あった(別紙(二)修正貸借対照表参照)のにかかわらず、昭和四九年三月一二日、前記四谷税務署において、同税務署長に対し、総所得金額が四二五二万九九九二円でこれに対する所得税額が二一二五万六三〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(前同号の符号の2)を提出してそのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の正期の所得税額三七三二万〇四〇〇円(税額の算定は別紙(三)税額計算書参照)と右申告税額との差額一六〇六万四一〇〇円を免れ
たものである。
(証拠の標目)
右の事実は、
(イ) 判示冒頭事実を含む判示事実全般につき、
一、被告人の当公判廷における供述
一、収税官吏作成の被告人に対する質問てん末書四通(検察官証拠請求番号乙-以下単に「乙」とのみ表示-1ないし4)
一、被告人の検察官に対する供述調書二通(乙6、7)
一、第一四回公判調書中証人前田勇、第一五回公判調書中証人坂田美弥子、第一六回公判調書中証人諏訪部隆、同羽根美恵子、第一七回、第一八回公判調書中証人唐木洋子の各供述部分
一、収税官吏作成の唐木洋子(一〇通、検察官証拠請求番号甲一-以下単に「甲一」とのみ表示-3ないし12)、羽根美恵子(昭和五〇年二月一九日付、同年三月一一日付、同月二二日付、同月二五日付、甲一18ないし21)、相馬純一(甲一28)、吉田行宏(甲一30)、平野緑朗(甲一33)、鈴木正夫(甲一35)、錦織俊郎(甲一39)に対する各質問てん末書
一、吉田行宏、小林啓弥の検察官に対する各供述調書(甲一31、32)
一、収税官吏作成の調査書(甲一1)
一、押収してある所得税確定申告書(四七年分)一綴(昭和五一年押第一八七四号の符号-以下単に「符」とのみ表示-1)、所得税確定申告書(四八年分)一綴(符2)、青色申告者書類綴一綴(符3)、総勘定元帳(四七年分)一綴(符4)、総勘定元帳(四八年分)一綴(符5)、総勘定元帳(四六年分)一綴(符6)、預金借入等備忘録一綴(符13)、カルテ(鎌田さよ子外九名分)一綴(符52)
(ロ) 普通預金につき、
一、三和銀行四谷支店長作成の「取引の内容について」と題する書面(甲一81)
(ハ) 積立預金につき、
一、第一勧業銀行四谷支店長作成の「取引内容について」と題する書面(甲一48)
(ニ) 貸付・金銭信託につき、
一、東洋信託銀行上野支店長作成の「取引内容について」と題する書面(甲一53)
(ホ) 前払費用につき、
一、押収してある請求書一枚(符14)、領収証等綴一綴(符15)
(ヘ) 建物につき、
一、東明建設株式会社営業部長山本伊佐夫作成の証明書(甲一54)
一、東京法務局登記官作成の登記簿抄本(甲一100)
(ト) 事業主貸につき、
一、押収してある振込金受取書等一綴(符30)、生活明細帳一冊(符32)
一、収税官吏作成の事業主貸調査書(甲一104)
一、唐木洋子(甲一72)、小林保(甲一74)作成の各上申書
一、収税官吏作成の現金有価証券等現在高検査てん末書(甲一73)
一、千代田区長(甲一76)、新宿区長(甲一77)、新宿都税務事務所長(甲一78)作成の各税納付状況照会に対する回答書
一、前掲甲一53
一、押収してある貸付金元帳写一綴(符39)
(チ) 唐木洋子勘定につき、
一、前掲甲一81
一、住友信託銀行東京支店長作成の証明書(甲一82)
一、前掲甲一48
一、前掲甲一53
一、前掲甲一54、甲一100
一、前掲甲一76
一、押収してある領収証一綴(符44)、県税領収書一通(符45)、修正申告書控等一綴(符46)、領収書等一綴(符47)、領収書等一綴(符48)、固定資産税等納付通知書一綴(符49)
一、押収してある源泉徴収簿二綴(符43の2、3)
(リ) 預り金につき、
一、八十二銀行東京支店長(甲一44)、平和相互銀行赤坂支店長(甲一86)作成の各証明書
一、前掲甲一48
一、収税官吏作成の昭和四九年六月二五日付本田京子に対する質問てん末書(甲一41)
(ヌ) 元入金につき、
一、前掲甲一81、甲一53、甲一54、甲一100、甲一44、甲一86、甲一48、甲一41
一、前掲符14、符15
一、前掲甲一44
一、四谷税務署長作成の証明書(甲一2)
一、前掲符43の2
一、前掲符30、32
一、前掲甲一104、甲一72、甲一74、甲一73、甲一76、甲一77、甲一78
一、前掲符39
(ル) 非課税・分離課税分受取利息につき、
一、前掲甲一81、甲一44、甲一53
(ヲ) 青色申告控除につき、
一、前掲甲一2
(ワ) 青色専従者給与否認、事業専従者給与につき、
一、前掲甲一2
一、前掲符43の2、3
(カ) 医療費控除(昭和四七年分)につき、
一、前掲甲一104
を総合して、これを認める。
(弁護人の主張に対する判断)
一 弁護人は、本件において事前の所得秘匿行為や虚偽過少申告の違反行為に出た者は、被告人の使用人である妻洋子、窓口事務担当者羽根美恵子及び担当税理士前田勇らであって、被告人としては、妻洋子らの違反行為を全く関知しなかったものであるから、その間の選任監督上の過失を促えて業務主責任(所得税法二四四条一項)に問擬せられるは格別、所得税逋脱犯(同法二三八条一項)の実行行為者としての刑責を問われるべきいわれはないと主張し、被告人も、当公判廷において、右に副う供述をなしているのであるが、前掲各証拠を総合すれば、本件実行行為者が余人ではなく被告人自身にほかならないこと、すなわち、被告人において妻洋子や前記羽根美恵子らに自ら指示して自由診療収入の一部を公表帳簿から除外させ、あるいは妻洋子が自由診療報酬の一部を公表帳簿から除外することを敢えて容認し、除外金員を仮名預金化するなどの事前の所得秘匿工作をなしたうえ、本件各確定申告に際しては、情を知らない税理士前田勇をして正確に記帳されていない公表帳簿に基づく所得税確定申告書の作成方を依頼し、かくして作成された虚偽過少の確定申告書をそのまま所轄税務署長に提出し、法定納期限を徒過させるに至った事情を優に肯認することができ、これに反する被告人の前記公判廷供述は、妻洋子との婚姻生活が破綻し、現に離婚訴訟が係属中である事情に鑑みるときは、単なる後日の弁疏に過ぎないものと認めざるを得ない。所論はその前提を欠き、失当である。
二 次に、弁護人は、本件逋脱税額の算定に当っては、被告人が
1 昭和四七年中に支出した
(一) 南陽会入会金 二〇万円
(二) 金沢大学百年史 五〇〇〇円
(三) 賛助金 五〇〇〇円
(四) 寄附金 五〇〇〇円
(五) 賛助会費 一万円
(六) 後援会費 二万円
(七) 医師会年金掛金 一〇万八〇〇〇円
(八) 医師共済掛金 二万〇四〇〇円
2 昭和四八年中に支出した
(一) 医師福祉互助会費 三万三〇〇〇円
(二) 隆和会費 一〇万円
(三) 忘年会費 一〇万円
を逋脱所得金額からそれぞれ差し引くべきである旨主張するが、前掲各証拠に照らせば、右各支出項目は、交際費、広告宣伝費等の必要経費に該当するものでも、社会保険料控除等の所得控除の対象となるものでもないことが明らかであるのみならず、被告人自身、そのことを了知して、右各支出項目につき所得の処分として事業主勘定に計上する経理処理をしたり、所得控除の適用申請から除外していることが窺われるから、所論は失当であって採用の限りでない。
(法令の適用)
一、判示各所為
各所得税法第二三八条第一項、第二項(いずれも併科刑選択)
一、併合罪加重
刑法第四五条前段、(懲役刑につき)第四七条本文、第一〇条(犯情重いと認める判示第一の罪の刑に法定の加重)、(罰金刑につき)第四八条第二項
一、労役場留置
刑法第一八条
一、執行猶予
(懲役刑につき)刑法第二五条第一項
一、訴訟費用
刑事訴訟法第一八一条第一項本文
(量刑の事情)
被告人は、一般に高い社会的地位を認められ、また、その業務の特殊性から税法上破格の優遇措置を認められている医師であって、他の高額所得者にもまして一層納税義務の誠実な履行が期待される職業に従事する者であるにもかかわらず、敢えて本件脱税行為に出たこと自体厳しい社会的非難に値するものであるうえ、その逋脱した税額も二年分で五〇〇〇万円をこえる高額であり、その手段方法もレジ・ペーパーの打直し、カルテの改ざん廃棄を伴う悪質なものと認められ(ちなみに、弁護人は、これらの行為をしたのは被告人の使用人らであり、カルテ表側の診療録記載部分を改ざん廃棄したことはなく、保存期間経過後のものを引越しに際し処分したに過ぎない旨陳弁するが、前掲各証拠によれば、これらの所為は被告人の指示または容認のもとになされたものであり、かつ、カルテについては、法定の保存期間内に、診療録記載部分を含む全部についての廃棄がなされていることが認められるものであって、医師としての基本的倫理に背馳する所業と評せざるを得ない。)、さらに、犯行後七年を経過した現在納税はおろか修正申告すらなされていないこと(弁護人は、不納付の事由として国税局に不動産を差押えられて処分できないこと、妻洋子が預貯金を占有し、被告人に対し離婚並びに約一億円に及ぶ財産分与請求訴訟中であることを挙げるが、前者は税額納付を不能ならしめる事由には当らず、後者は単なる個人的事情であって、家庭生活の破綻を来たした責任が夫婦のいずれの側にあるにせよ、これを以て国家に対する納税義務の不履行を正当化するに由ないところというべきである。)を併せ考慮するときは被告人の刑責はまことに軽からざるものがあり、まさに実刑相当事案というべきであるが、他方、被告人が齢七三歳の高齢者であり、持病の糖尿病に加え喘息、蜘蛛膜下出血等の症状に苦しむ病身である点に思いを致せば、今しばらく懲役刑の執行を猶予して社会内処遇による更生の道を歩ませることが刑政の趣旨に合致するものと認め、主文のとおり判決した次第である。
(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 松澤智 裁判官 須田贒)
別紙(一) 修正貸借対照表
唐木秀夫
昭和47年12月31日
<省略>
<省略>
<省略>
別紙(二) 修正貸借対照表
唐木秀夫
昭和48年12月31日
<省略>
<省略>
<省略>
別紙(三)
税額計算書
唐木秀夫(昭和47年分、同48年分)
<省略>